中性子科学センター研究生滞在記

2020.08.24

中性子科学センター研究生滞在記

大阪薬科大学 製剤設計学研究室
博士課程3年 野上 聡

私は2020年8月3日から7日までの5日間、一般財団法人総合科学研究機構(CROSS)中性子科学センターに研究生として滞在し、実験をさせて頂きました。ここに、滞在記として活動内容を報告します。

私は大阪薬科大学製剤設計学研究室に所属し、pH応答性の薬物放出制御能を有する機能性経口ゲル製剤の設計と評価を行っています。薬物の胃内放出による副作用の発現や十分な治療効果が得られないケースを防ぐため腸溶性製剤が開発されていますが、そのほとんどは固形製剤であり、嚥下・咀嚼能力の乏しい高齢者にとって服用しにくい剤形です。そこで私は服用し易い経口ゲル製剤に着目しました。臨床応用可能なpH応答性経口ゲル製剤は開発されておらず、高齢化が進む中、ゲル製剤の需要はこれまで以上に高まることが予期されるため、本研究に取り組んでいます。

これまでに、医薬品添加剤として承認されている腸溶性ポリマーを用いて調製したゲル製剤では、胃内条件下でモデル薬物 (分子量151.2)の放出を60%抑えており、薬物の分子量が増大するにつれ薬物放出抑制率は増加する傾向にある知見が得られています。今回、酸性条件下における薬物放出抑制メカニズムに関して不明瞭な部分、具体的にはゲル基剤と腸溶性ポリマーが形成するマトリックス構造の網目サイズと粘弾性挙動を明らかにし、臨床応用可能な最適処方を探索するためCROSS研究生に応募しました。本研究活動を通して、臨床医療に貢献できる機能性ゲル製剤を創製することが私の最終目標です。今回の滞在では、まずゲル製剤の基礎物性、主にゲルの細孔径や粘弾性を評価することを目的とし、有馬寛研究員、岩瀬裕希副主任研究員および柴山充弘センター長の指導の下、動的光散乱(DLS)およびレオロジー測定とその解析を行いました。短い滞在期間の中で測定と解析に時間を費やしたかったため、28個の試料を大学で事前に準備して各測定に臨みました。CROSSおよびJ-PARCには数多くの測定装置があり、また最先端の専門知識を有した研究者とともに研究を行うことができます。事前準備の甲斐もあり、想定以上に多くのデータを採取でき、今後行う実験の道筋も明確となりました。

初日の午前中は、CROSSおよびJ-PARCユーザーとしての研究活動に際し必要となる安全教育を受講しました。J-PARCは物質科学、生命科学、素粒子物理学など幅広い分野の最先端研究を実施しており、「安全無くして研究成果無し」の研究理念の下、服装や入構時の検査はもちろん、緊急時の避難場所や連絡訓練まで徹底されていました。測定者や国民の安全が第一にあることで、初めて実験データに価値があることを感じました。管理体制と安全意識の高さを目の当たりにし、普段の大学生活よりも一層高い安全意識をもって研究に取り組みました。午後からはJ-PARC研究棟にて試料の測定に着手しました。DLSについてはJ-PARCセンター高田慎一研究副主幹にご協力頂き、各装置の測定条件を決定し初日の実験を終えることができました。

図1 DLSの外観

図2 レオメーターの外観

2日目から本格的に測定を行い、ゲル製剤の物性評価を行うとともに、ご助力頂いただいたCROSS研究員の方々や高田慎一研究副主幹と得られたデータに関するディスカッションや今後の実験計画に関する打合せを行いました。粒形サイズ分布と薬物放出性の関係性に関して意見を頂いたり、添加剤濃度や測定温度、pHを変調して多角的に実験を進めることで理解が深まるといったアドバイスを頂いたり、DLSにおける相関関数から分布関数を解析するときの注意点をご指導頂いたりなど、ゲル領域の研究を進める上で勉強になることばかりの会議でした。DLSに関する内容を私が理解できなかったため、書き留めたメモを宿舎で復習し、翌日高田慎一研究副主幹に疑問点を質問すると、私が理解できるまで丁寧に説明してくださいました。また打合せで私の研究概要を説明する際、薬学系と異なる分野の研究者に向けた資料構成になっておらず困惑させてしまったので、今後共同研究者との打ち合わせでは、背景や導入部分を詳説した後に研究内容・目的へと繋げられる構成にしたいと考えます。

最終日には、今回の滞在中に得られたデータを基に資料を作成し、中性子科学センターにおいて成果報告会を行いました。ソフトマターの専門家である柴山充弘センター長からは、協同拡散理論に基づいたDLSの相関長解析に関してご指導頂きました。粘弾性測定ではゲル化点(貯蔵弾性率と損失弾性率が交差する点)の変動に焦点を当てていましたが、温度に応答するこれらの挙動に着目するようご指摘頂きました。さらに測定方法に関するアドバイス(金ナノ粒子やポリスチレンラテックス、半透膜を利用した実験)を頂きましたので、次回の測定に活用します。これまで私は医療への応用を目指したゲル製剤の有用性や活用方法に着目して実験を行っていましたが、今回の実験でゲルの基礎物性に関する解析を行い、専門の方とディスカッションするにつれ、ゲル分野の魅力により一層惹き込まれました。本報告会で得られた知識や考察を自身の博士論文や国際学術論文の作成に活かし、臨床医療への貢献に結び付けられるよう精進します。

図3 成果報告会の様子

図4 修了書授与式の様子

滞在中、実験では直接関わることのない研究者と交流する機会も頂きました。富永大輝研究員、山田武研究員には、いかに他分野の研究者に自分の研究内容を面白く説明するかのテクニックを教えて頂きました。さらに、ストーリー構成などプレゼンの基本的なアドバイスまで教えて頂けたので、今後の研究発表に活かしたいと思います。また、超伝導という普段聞き慣れない領域を専門とする石角元志技師から、超伝導はリニアモーターカーの仕組みに繋がる現象だと聞くと、相手の研究内容がより身近な領域に感じました。一方で、他分野の方々が私の医療系研究内容、とくにジェネリック医薬品の特徴(先発医薬品との相違点やメリット・デメリット)に興味をもって頂けて嬉しい気持ちになりました。異なる研究領域の方々とのコミュニケーションの取り方の難しさ、伝えるための工夫、伝えることの大切さを学びました。

本訪問を含め、合計3回(計15日間)の訪問による実験を計画しております。1回目である今回の滞在では、念願であったゲルの細孔径や粘弾性の測定に着手することができ、非常に有意義な時間でした。また、試料測定だけでなく、異分野の研究者と交流する機会を頂き、貴重な体験ができました。『酸性条件下における腸溶性ポリマーゲル製剤からの薬物放出制御メカニズムの解明』に向け、次回の滞在では半透膜を用いて試料を調製し、DLSだけでなく小角X線散乱を用いた構造評価に取り組みます。さらに、数々のディスカッションを通し中性子利用への道筋が開けました。今後、中性子散乱実験の実施に向けて研究を進めていきます。

5日間という短い期間でしたが、CROSSのスタッフの皆様に大変お世話になりました。皆様には、親切な御対応、御説明をして頂き、滞りなく実験を進めることができました。また、製剤設計学研究室の戸塚裕一教授、門田和紀准教授には、本滞在の機会を頂きました。深く感謝申し上げます。

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