電子スピン歳差運動の回転方向の観測に成功

2020.07.03

東北大学金属材料研究所
一般財団法人総合科学研究機構

電子スピン歳差運動の回転方向の観測に成功
スピントロニクスにおけるスピン流伝搬機構の微視的解明

発表のポイント

  • 次世代スピントロニクスではスピン流の生成・制御が重要ですが、ミクロな視点での理解は進んでいませんでした。
  • 絶縁性磁性体のスピン流を伝搬する、電子スピン歳差運動の回転方向の直接観測に初めて成功しました。
  • 今回用いた特殊な偏極中性子散乱はスピントロニクスに限らず磁性体一般に広く応用でき、今後マグノン極性を活かしたデバイスの開発が期待されます。

概要

スピントロニクスではスピン自由度の流れ、つまりスピン流の生成・制御が重要な要素です。これまでは、生成されたスピン流を電圧の情報に変換して巨視的に観測するのが一般的で、ミクロな視点での理解は進んでいませんでした。特に、絶縁性の高い磁性体においては、電子スピンの歳差運動(スピンが円を描くように向きを変える運動)によってスピン流が伝搬されることが知られていましたが、その歳差運動を顕わに観測した例はありませんでした。東北大学金属材料研究所の南部雄亮准教授らは、この歳差運動の回転方向(マグノン極性)を、中性子スピンの偏極を揃えた偏極中性子散乱によって初めて実験的に観測することに成功しました。
今回検出されたマグノン極性は、スピントロニクス物質の機構解明や物質開発の設計指針に欠かせない微視的情報です。今後、マグノン極性を活かしたデバイスの開発が期待されます。

本研究成果は、アメリカ物理学会学術誌「Physical Review Letters」において、2020年7月6日付けオンライン版に公開されます。また、Editors’ Suggestionに選出されています。

詳細な説明

研究背景

電子の持つ自由度の中で電荷を活用したエレクトロニクスに代わり、近年ではスピンを用いたスピントロニクスが注目を集めています。スピントロニクスではスピン自由度の流れ、つまりスピン流の生成や制御が重要な要素となります。これまでは、光学的、電磁気学的、熱的に生成されたスピン流を、電圧の情報に変換することで巨視的に観測していました。しかしながら、スピン流の微視的な情報については充分に得られているとは言えませんでした。特に、絶縁性の高い磁性体中では、スピン流は磁気モーメント(磁性の強さと方向を表すベクトル量)の歳差運動によって伝搬されることが知られていますが、その伝搬過程の詳しい情報については実験的に解明できていませんでした。

ここで、物質中におけるスピン流の伝搬過程について考えてみましょう。磁性体中の電子スピンが作る磁気モーメントは量子力学を用いて記述され、ある量子化軸(図中、黒色矢印)の周りを反時計周りに歳差運動することが導出されます。この歳差運動の回転方向をマグノン極性と呼びます。実際、強磁性体中の磁気モーメントは反時計周りにのみ歳差運動することが知られています(図)。反強磁性体の場合は、反対の極性を持つ二つのマグノンモード(歳差運動の伝搬、つまりスピン波を運動量・エネルギー空間で表したもの)が存在しますが(図)、巨大な磁場が印加されない限り、これらは通常縮退しています。つまり、反強磁性体では二つの極性を観察することは難しいことになります。それでは、反強磁性体の二つの磁気モーメントの大きさに差を持たせたフェリ磁性体の場合はどうでしょうか?この場合は磁気モーメントの差を反映してマグノンモードが音響モード(図中、赤色放物線)とエネルギーギャップを持つ光学モード(図中、青色放物線)に分離し、それぞれが反対のマグノン極性を持ちます。このように縮退が解けることによって、反対方向を向く二つの極性を分光学的な測定を用いて検出できる可能性があります。実はこのマグノン極性はスピン流の伝搬方向に対応しており、物質の個々のマグノン極性の情報を得ておくことはスピン流を制御する上で重要です。しかしながら、これまでマグノン極性について、その直接観測がなされていない状況でした。

成果の内容

我々は、スピントロニクス研究における代表的な物質Y3Fe5O12(YIG)に着目し、そのマグノン極性検出を行いました。実験には中性子散乱を用い、特に中性子自身の持つスピン自由度をも解析する偏極中性子散乱実験を行いました。マグノン極性を観測するには中性子のスピン偏極を散乱ベクトル(Q)方向に向けるという、特殊な条件下で行う必要があります。磁気中性子散乱はQに垂直な面に射影されるスピン成分のみを検出することができます。この場合、Q方向に磁場も印加することでYIGのスピンもQ方向を向いているため、Qに垂直な射影成分は非常に微小となり、検出可能な成分はちょうど歳差運動が貼る面積のみに対応します。Qに平行な中性子偏極を用いた場合、カイラル項と呼ばれる、Qに垂直な成分のベクトル積に対応する物理量が検出可能であることが知られています。このカイラル項は、時計周りと反時計周りを反対の符号として検出するため、YIGの二つのマグノンモードについてその測定を行いました。実験の結果、図に示したような音響モードと光学モードで反対のマグノン極性が明瞭に観測され、それらの温度変化によってスピン流の測定結果の定性的理解が可能なこと、また理論計算によって実験結果がうまく再現されることを確認しました。

ちなみに、フェリ磁性体は強磁性体と一見性質がよく似ており、その判別は困難です。実際、物理学の教科書として有名な「ファインマン物理学」では、YIGは強磁性体として紹介されています。今回の測定は、反対方向のマグノン極性を双方とも測定した点でフェリ磁性の直接確認である、とも言えます。

意義・課題・展望

今回検出されたマグノン極性は、スピン流の伝搬方向と直接関係しており、スピントロニクス物質の機構解明や物質開発の設計指針には欠かせない微視的情報である点で興味深いものです。本測定手法はスピントロニクス関連では磁壁の運動や反強磁性体におけるスピンテクスチャの解明などに応用が可能であり、また、スピントロニクスに限らず広く磁性体一般に展開できる可能性を持っています。今後、マグノン極性という新しい自由度を活かしたデバイスが開拓されていくことが期待されます。

発表論文

雑誌名 Physical Review Letters
英文タイトル Observation of magnon polarization
全著者 Y. Nambu, J. Barker, Y. Okino, T. Kikkawa, Y. Shiomi, M. Enderle, T. Weber, B. Winn, M. Graves-Brook, J. M. Tranquada, T. Ziman, M. Fujita, G. E. W. Bauer, E. Saitoh, and K. Kakurai
DOI

共同研究機関および助成

本研究の成果は、東北大学金属材料研究所の南部雄亮准教授とイギリスLeeds大学のJ. Barker王立協会大学研究フェロ―、および総合科学研究機構(CROSS)中性子科学センターの加倉井和久サイエンスコーディネータ、東北大学材料科学高等研究所・金属材料研究所のG.E.W. Bauer教授、東京大学大学院工学系研究科の齊藤英治教授、フランスILL、アメリカORNLのグループとの共同研究によって得られたものです。

本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金、JST-ERATO、東北大学GP-Spinプログラム、アメリカエネルギー省、日米協力「中性子散乱」の助成を受けて実施されました。

本件に関するお問い合わせ先

研究内容に関して

東北大学金属材料研究所
量子ビーム金属物理学研究部門

南部 雄亮
TEL: 022-215-2039
Email: nambu[at]tohoku.ac.jp

総合科学研究機構中性子科学センター
加倉井 和久
TEL: 029-219-5300
Email: k_kakurai[at]cross.or.jp

報道に関して

東北大学金属材料研究所 情報企画室広報班
TEL: 022-215-2144 FAX:022-215-2482
Email: pro-adm[at]imr.tohoku.ac.jp

総合科学研究機構中性子科学センター利用推進部
広報担当
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